稲盛アカデミーへの懸念

ご存知のように、鹿児島大学内には、稲盛アカデミー、稲盛会館という、鹿大卒業者であり京セラの創業者である稲盛和夫氏の名前を冠した建物が存在し、特に稲盛アカデミーでは稲盛氏の影響を受けたと思しき教員による授業や研究が行われています。

 

カルト団体とは直接関係あることではありませんが、国立大学の一部署が一経営者の影響下に置かれることに対して、またそのことに対して表立った批判が見られないことについて運営者は懸念しています。

 

たとえ多額の資金援助があったとしても、存命中の一経営者、一私人の名を冠した建造物を設置することは、特に国立大学にふさわしいとは到底考えられません。学問の自由がなんらかの思想やそれを唱える団体、個人のもとに制約され、操作されるような事態になる危険をはらんでいるのではないしょうか。(そもそも稲盛アカデミーの設立自体、そのような意図が絡んでいたのではないでしょうか)

 

実際に、稲盛アカデミーでは、稲盛和夫氏を支持する教授陣により、稲盛氏の経営哲学と称した研究が行われているといいますが、一経営者(それも存命)の経営技術や人生観を支持するような研究は、大学で行う研究としてふさわしいでしょうか。また、そのような「哲学」と称した研究は果たして哲学の名に値するものでありましょうか。そこでは稲盛氏に批判的な研究は許容されるのでしょうか。

 

稲盛氏は「人間力」なるものを提唱しているといいますが、一経営者の人間観を、批判的吟味なしに学生に対する教育に利用しているとすれば、それは特定の個人の価値観の植え付けに過ぎず、やはり、大学で行う高等教育、特に学問の自治を追求すべき国立大学での教育としてふさわしいものであるのか疑問です。カルト宗教、たとえば創価学会の池田大作氏への権威付けや個人崇拝、また哲学研究会のいう「哲学」、すなわち疑うことを許されない教義のようなものと化すおそれがないとはいえません。

 

法文学部で学術的に哲学を研究していたある教授は、稲盛アカデミーで「哲学」と称した研究が行われていることを懸念していたと言っていました。その教授は稲盛アカデミーで共通教育の哲学の講義を行っていましたが、今から思い返しますと稲盛アカデミーへの抗議の意図があったのかもしれません。


他方、稲盛アカデミーの教員である吉田健一氏のサイトの「教育・研究等」のページには、「*サイト上の文章及び写真、または紹介する著作物の内容は、如何なる理由を問わず、転用・転載・引用等は著作権侵害に付き、堅く禁じます。
万一、無断転用、転載、引用等が判明した場合は法的措置を取らせて頂きます。」という文章が書かれていますが、(このような)正当な引用は許諾を取る必要がなく、法律でも認められているのは、レポートや論文を書く大学生にとっても常識的なことです。大学教員が書いたとは信じがたい文章で、その資質が疑われます。
 

さらに呆れたことに、 2017年3月には、なんと学内に稲盛和夫氏の銅像まで建てられたことがわかりました。いくら稲盛氏が大学に貢献したとしても、そのようなものを私企業ではない大学にわざわざ建立しなければならない理由は何もありません。上で指摘したように、稲盛氏は名誉欲にかきたてられて個人崇拝を容認している人物であると疑われても仕方がありません。除幕式で挨拶したらしい前田芳實学長(当時)らは、結局、多額のお金を出した人が偉大だと考えているのでしょうか。

 

京都大学の折田彦市像のように、長年に渡って大学内で具体的に教育や研究に携わってきた人物を記念するのであれば大学にふさわしいものかもしれませんが、そもそも稲盛氏にはそのような実績はなく、あくまで多額の資金的援助を行った工学部OBに過ぎません。多額の資金提供を受けることによって、大学の経営が出資者である稲盛氏やその関係者の意向に逆らえず、言いなりになることが懸念されます。

 

さらに、混声合唱団ポリフォニーコールが、「稲盛和夫鹿児島大学名誉博士像完成披露式典」で演奏を行ったという記述もありました。

学生まで無批判に取り込まれてしまっていることには危機感を覚えています。

 

鹿大生の皆さんには、偽装サークルやカルト団体に対する批判を超えて、社会全体に対する批判的視点を持って頂きたいと願います。